金曜日
今日の読売新聞「解説」面に、高専(高等専門学校)のことが取り上げられていた。
ワシは、高専の卒業生である。
中学校から高校を受験する前に、高専を受験し合格。5年間の一貫教育を受け、16歳から20歳までの青春時代を、高専で満喫した。
昭和47年当時国立の高専は、工業系を目指す人間にとっては、受験は最も高い壁だった。
県内全域から、ちょっと偏った成績優秀な人間が、競って目指す学校だった。
一緒に学んで分かったのだが、偏ったというのは、高専を目指す者の特徴は、中学校当時に全般的な成績優秀者ではなく、数学・理科が得意な者で、音楽とか美術等はどうでも良く、主要5教科以外の成績はなんとも思っていない人間が多かった。
高専を選んだ理由は、大学受験をせず大学と同等の専門知識を得られること、学費が国立で安いことだった。
皆、受験が嫌いだが、工学系が大好き。
高専は、県内全域から受験でき、寄宿舎が学内に用意されており、1・2学年では自宅から通えない学生は全員寄宿舎に入る。
3学年以上になると、次第に寄宿舎から出て下宿生活をする。
ワシも、5年生の時には、1年間下宿生活をした。
1学年の頃、数学の三角関数の証明で、寄宿舎内で全員徹夜で勉強した。
寄宿舎内で、徹夜で議論することも、頻繁にあった。
3・4年生になると、一般教養課程では英語・ドイツ語も学び、日本史・世界史も哲学も学ぶ。
ただし、生物は学ばなかった。
英語は、講師が演劇好きで個人的に仲良くなり演劇にも心酔し、一所懸命勉強。4年生の頃には、アメリカ映画を字幕に頼らずに楽しめるほどになった。
4年生の頃、近くの新潟大学の学園祭に行き、大学の3年生と専門に関する議論をしたことがあった。
その時は、少々がっかりした。
大学3年生の数学や専門知識が、我々より不足していた。
彼らは、専攻過程を3年になってから学んだばかりで、1年生の頃から詰め込まれた高専生とは、明らかに差があった。
翻って、高専生には、一般教養が不足していた。
コミュニケーション能力は、その不足している最たるもの。
3年前まで勤務していた会社は、高専卒を大量に採用している。
ワシの世代で入社した中には、高専卒で役員になっている者も多い。
今日の日常