2016年11月01日

想い出の分水

火曜日
 土曜日は、同級会の会場の弥彦温泉へ行くために、燕駅から市内を歩いて中之口川の堤の道を、大河津へ向かった。
 堤の上の道は一般道になっており、がんがん車が往来する。
 歩道も無く、少々緊張して歩いた。
 20161029_中之口川の堰.jpg 燕市の県央大橋から、2.5km程遡った所に、この堰がある。
 ここから、下流側が中之口川になる。中之口川は、信濃川の西側を新潟市善久で合流するまでの川。
 新潟電鉄は、この中之口川沿いを走っていた。
  
 この付近から、冷たい雨が降ってきた。風も強く吹く。ヤッケを持ってこなかったら、到底耐えられなかった。歩いているから体内の発熱があり、風が防げると寒さは感じない。

20161029_大河津分水.jpg 11時頃、信濃川と分水の別れ目に到着。
 写真の左側が、信濃川の上流。左側が、分水路で寺泊で日本海に注ぐ。

 現在は、下流の信濃川の川幅が狭くなっているが、分水が掘られる前は、もっと広かった。
 昔の堤防は、地図上で県道が通っているところ。
 

20161029_信濃川側の堰.jpg20161029_分水側可動堰.jpg 左側の写真が、信濃川本流に設けられた堰。右側が、分水路の可動堰。
 二つの堰で、下流の新潟方面への流量を調整している。
 さらに、下流の中之口川の堰で、信濃川と中之口川への水量を調整している。
 
 小学校の頃、分水に遠足で来たはずだったが、さっぱり記憶に無かった。

20161029_分水の越後線.jpg 分水町の越後線。
 11時半頃、越後線の鉄橋付近に着いた。
 越後線の鉄橋を走る電車が見られたのは、嬉しかった。が、分水駅から吉田駅へ越後線で行くプランは消えた。越後線は、超ローカル路線で、日中は2時間に1本くらいしか運行していない。
 雨交じりで、歩くのを中断しようと云う迷いは、ここで吹っ切れた。

 20161029_分水夕ぐれの岡.jpg 分水路の夕暮れの岡の所で、分水路の堤を降り、弥彦温泉へ向かう。
 あの橋の向こうは、日本海に繋がっている。
 
 実家にいるころは、車で間瀬の海岸から日本海沿いを何度か走った。
 当時の車は、家の商売用のサニーバン。
 名車B110の、ライトバン。エンジンは名機A12。シングルキャブだったが、貨物用の車両の為最終減速比が大きくローギヤードで、加速力抜群だった。
 当時の排ガス51年規制で牙を抜かれたスカイラインに、加速力では決して負けなかった。
 貨物仕様のため、タコメーターは無かったが、エンジン音によれば7000rpmは、簡単に回っていたようだ。

【 昨夜から朝 】
 23時半頃からTBSーTV「NEWS23]を見始めて、直に酔いつぶれて眠り込む。
 0時半頃脚が攣り目が覚め、布団を敷いて就寝。
 4時10分頃起床。睡眠時間、推定4時間半。
 ストレッチ中、「噂の東京マガジン」の後半、「街ネタ」御茶ノ水界隈を見る。
 通勤の伴は、「ストロボ」作 真保祐一。
 6時38分、亀有分室到着。
 昨日始めたシステムチェックが、半分ほど残っていた。
 11時半頃、チェック終了。後片付けをして、神田本店へ向かう。

【 昼 】
 お昼は、餃子の王将亀有店で、「辛々麺」。
 昼食後、亀有駅から新御茶ノ水駅へ。
 亀有駅から千代田線に乗ると、若い男性サラリーマンの座席への座り方に腹が立った。
 脚を組んで、無駄にデカい靴をブラブラと前に出している。まさに、バカの大足。
 12時50分頃、神田本店到着。


【 夜 】
 19時20分頃退社。
 新御茶ノ水駅で柏行に乗る。凄く混んでいた。
 混んでいる車内でも、スマホを持ってガザガサいじっているバカモノがいる。
 町屋の駅で、ホームの警報音が鳴り響いた。
 「携帯を落とした方がホームの警報釦を押した」そうだ。スマホを持ったまま、電車を降りようとした愚か者が、手を滑らしたに違いない。このために、10分間電車が停まった。
 電車が空いてきた綾瀬駅で、ようやく文庫本を読みはじめられた。
posted by 野内 悟 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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