WoWOWのドラマ『あきらとアキラ』を見ていて、兄弟のことを思う。
あのドラマの東海汽船の創始者の社長一家の2代目、3代目の兄弟のことを見ると、自分の兄弟のことと思い比べてしまう。
普通長男は、跡取りとして育てられる。
だが、我が家の親父は、違った。
子供の頃の私ら3兄弟の性格を見て、跡取りは次男に決めた。
親父の選択は、賢明だった。
兄弟3人は、向かう分野が全く異なり、互いにコンプレックスを持つことなく生きることが出来た。
おかげで、ワシは好き勝手に学校を選び職業を選ぶことが出来た。
長男は、文系の大学に進学し、紆余曲折の末高校教師になった。
家の事業を継いだ次男は、何かと不満はあったと思う。
兄の次男は、もともと器用で、見事にこなしていた。
畳屋という業態は、昭和55年頃から住宅の形態が大きく変容し、畳を必要とする和室が住宅にはせいぜい1室になって、需要が激減。
そのため、畳屋は同じ住宅の装備のカーペットやカーテンなどの室内装飾を手掛けるようになった。
次男も同じように、畳屋から室内装飾に事業を変えた。もちろん、基幹は畳屋。
ワシも会社の夏休みなどでは、カーペットやクッションフロアの施工を手伝った。そこで分かったのは、施工技術は道具に関わること。いい道具を選ぶことが、いい仕事につながる。
バブルが崩壊して、住宅需要が落ち込み、実家の畳屋も一時危なった。
その時、次男は叔父と長男に、資金援助を求めた。
まだ結婚して間もなく、不動産資産も無いワシには、援助を求めなかった。
弟のワシには、頼れないというプライドもあったのだろう。
その後、次男はディトレーディングで収入を補完して、実家の事業継続を維持して来た。
ところが、リーマンショックで株式取引の損失が大きくなり、事業が立ち行かなくなった。
2度目の危機にはさすがに親戚中で誰も助けてくれず、次男は自己破産をした。
この時も、ワシには一斉の相談も無かった。
工学系の親父は、同じ工学系を先行したワシを、自由に扱ってくれた。
ワシは、結婚の前に、レースを始めて『道楽息子』を決め込んだ。
もともと、高専時代にオーディオに乗り込み、一時期音楽関連の職に就こうかと思っていた。
就職後も、会社の中でも同じように管理職の道を断り、自分の我儘をつらぬいて来た。
【 昨夜から朝 】
20時頃から、NHK BS−1を見る。
20時半頃、酔いつぶれて眠り込む。22時半頃目が覚め、TBS『Get Ready』を見る。
23時頃から、PARAVIで『あきらとアキラ』第5話から見る。
2時頃就寝。
4時50分頃起床。睡眠時間、推定4時間。
朝食後、コーヒーを淹れて飲む。
寝過ごしてしまったので、6時05分発の北総線で出社。
電車内では、先週購入した新書を読み耽る。
流山おおたかの森駅で下車し、7時45分頃勤務先到着。
歩いた道のり、約6km。所要時間、約1時間03分21秒。
【 昼 】
11時50分頃から昼食。
漫画家、松本零士氏が亡くなったと、報じられた。
【 夜 】
18時頃退勤。19時05分頃、白井駅到着。
ジム&スタジオ ルネ白井へ。
心肺系 | ||
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内容・利用マシン | 時間 | 消費Cal |
ストレッチ | 約5分間 | − |
ジョギング(トレッドミル) | 45分 | 7.24km |
ストレッチ | 約30分間 | − |
開始時 | 終了時 | 減少量 |
61.5kg | 60.8kg | 0.7kg |
時間的に余裕が無く、45分しか走れなかった。
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