2006年05月13日

本埜村から風土記の丘へ

土曜日
朝から泣き出しそうな空から雨がぽつりぽつりと落ちてきた。 江戸川堤の松戸・金町・小岩・市川を巡る新京成健康ハイキングには『不参加』を決め込んだ。
散歩に出れないこんな日は、既に2週間前になった印旛沼の風土記の丘への道へ思いをめぐらすとする。




本埜村役場を過ぎて、冬の間は白鳥のやってくる小学校の前の田圃へ来た時、丁度昼休みの終わる頃らしく校内放送が聞こえた。
まず英語で次に日本語で、ビックリした。

本埜村水田小学校とGSのT字路を東へ田の中の道を歩き、立埜原付近から、西の小学校の方は見事な水田風景が拡がる。
4月28日にして、既に殆ど田植えが終わっている。
平らな水田が広がるこの様子は、故郷の新潟平野をほうふつとさせる。

この先南へ進路を取り外甚兵衛沼を見ようと思ったのだが南へ行きすぎ、田圃の中の道を行ったり来たりして水路の堤に沿って歩いてもなかなか東へ渡る橋が無くて、遠回りをしてしまった。
酒直水門酒直水門着、14時20分。
そもそもこの酒直水門へ、なぜか印旛沼側からたどり着いている。さっきの田圃から直線距離で3kmしかないのに、約1時間も費やした。
地図と実際の地形に差があり、途中で場所を見失ったためである。
水門を渡ると、道に迷うことも無く成田線の踏み切りを超え、14時55分風土記の丘到着。
あちこちに八重桜が咲いていた。
平日の午後のため、歩いている人もまばら。

風土記の丘から印旛沼を望む印旛沼を望める遊歩道を歩いて、坂田ヶ池を目指す。
遊歩道から見える印旛沼は、大きく感じる。
古墳が築かれたころ、印旛沼はもっと大きかったはず。

坂田が池坂田ヶ池のもっとも丘の奥の端、昨夜までの雨のせいか、水量も豊富。
時間に余裕があれば、大和の湯で露天風呂にでも入って、印旛沼の向こうの夕日でも楽しみたかったが、そそくさと下総松崎駅へ向かい、約36kmの歩きは終了。

G/Wの連休の初日、いい一日を過ごせた。
印旛沼の田圃の中で、約30分のロスが大変に悔しい。



あの1日で一挙に日焼けし、腕にくっきりと跡が残った。この10日頃には、腕は日焼けした皮膚が一皮むけた。
それを思うと、今日はシトシトと冷たい雨の降る、肌寒い一日。

午後は、五香のXAXでへろへろに
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posted by 野内 悟 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 房総風土記の丘への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月11日

龍水寺と龍湖寺

亀成川沿いから本埜村へ

林の中の道を登り、県道に出て自動車整備工場の横の道を進むと懐かしい場所に出た。

龍水寺正面龍水寺薬師堂側道を挟んで、本堂と薬師堂がある。
本堂の方では、丁度葬儀が執り行われるようで、恐縮しつつ、正面左手にある鳥やサルのいる檻へ。
何故か参道側がシートで覆われている。
ワオキツネザルはいなかったが、孔雀やフラミンゴがいた。なんと、ダチョウも。
4年前北総ウォークで訪れた時とはルートを変え、道を北へ進む。
途中のサンクスでお茶とサンドイッチを購入し、龍湖寺へ畑の中の道を進む。

龍湖寺本堂龍湖寺山門
龍湖寺に着いたのは、正午を少しまわっていた。
平成14年秋に来た時は、山門側からだったのでちょっと新鮮。
ここで、昼食。
山門から村道を左に折れ、以前登った諏訪神社の石段の下を過ぎる。石段が綺麗になっていた。
田の中の道を、本埜中へ向かい本埜村役場へ。
役場前、12時40分通過。

そこから、冬の間白鳥の飛来する田圃へ向かう。

−−−−−−−続く−−−−−−−
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posted by 野内 悟 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 房総風土記の丘への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

印西市大森の長楽寺

房総風土記の丘への道 続き

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

古びた石段を登ると、長楽寺の鐘楼とお堂が見えた。
長楽寺鐘楼長楽寺お堂の横にどうやら、お寺の裏口から入ったようだ。このとき、10時42分。
”ほくそう99冬”によれば、この観音堂と鐘楼は長楽寺の奥にあることになっている。
この鐘楼にかかっている梵鐘は、平成元年に鋳造されたもので「印西八景 長楽寺の梵鐘」とされているそうだ。
さて、観音堂の前にあるこの石柱には、「天竺山龍角寺」と刻まれている。はて??
観音堂は昭和25年失火で消失し、平成元年に再建されたものだそうな。観音堂の裏手に、観世音菩薩の石像があった。
鐘楼の裏から奥へ進むと、本堂が見えた。

長楽寺の本堂こちら側が、お寺の表になるようだ。
銀杏や桜の木が見事、今度紅葉の季節にもう一度来てみたい。

本堂の中には、千葉県の有形文化財に指定された、昔からの梵鐘が置いてある。
墓地の入り口には、金網の柵で囲われた犬小屋があり、声のつぶれた犬がいた。
あまりによく吼える犬は、声帯を切られているらしい。

墓地の横から東へ参道が延びていて、県道千葉竜ヶ崎線まで亀成川が見える崖の上を木々に囲まれた細く心地よい道。
県道を(車の通行が多く、なかなか渡れない)横断して、再び亀成川沿いを東へ進む。

芝桜見事な芝桜が拡がっていた。
亀成川も川幅がぐっと狭まり、ただの用水路にしか見えない。
11時半、印西牧の原の公園の築山が見えてきたあたりで、亀成川沿いから林の中へ登り北へ進路を変え、本埜村の龍水寺を目指す。


posted by 野内 悟 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 房総風土記の丘への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

浦部の鳥見神社から亀成川へ

火曜日
今日も曇り空。夜からは、細かい雨が落ちてきた。

−−−−−−−−房総風土記の丘への道 続き−−−−−−

平塚キャンプ場を後にして、工事中の道路に出て浦部の鳥見神社への道を進む。
途中からは、4月のほくそうウォークのコースと同じルート。
鳥見神社下のシャガ鳥見神社への坂を登らず、右へ迂回すると斜面にこのシャガの花を見つけた。
少々遠回りだが、いいものを見た。
鳥見神社から観音寺を通って、坂を上っていったら皇大神宮へ出た。急な石段を降りて、道端の「月影の井」を通り過ぎ、永治小学校の横で木下街道を渡る。
浦部の歓喜院白井方面へ50mほど歩き左の路地へ入ると、小さなお堂が見えた。そこまで行くと、木下街道からは見えないように大きな山門があった。
山門をくぐると、そこは立派なお寺だった。
何故この立派なお寺が、”ほくそう”で紹介されていなかったのか。
お寺の境内の奥に急な階段があり、そこを下ると昔からの集落の道に出た。
緩やかに右に左に折れる、昔ながらのとても歩きやすい道。
まもなく、松山下公園に出た。
松山下公園松山下公園のテニスコートでは、10数名の方がテニスに興じられていた。
公園内の自販機で、今日初めての水分補給に、コカコーラのフリースタイルを飲む。
公園の北側の隅から、亀成川沿いを東へ進み、大森の長楽寺を目指す。
川では、水面を蛇が泳いで対岸へ渡っていった。
亀成川は、コンクリートで殆ど囲われていなくて、自然の様子を良く残している。

大森長楽寺へ長楽寺への道が判らなかったが、畑の中の小路を登ったら古びた石段の下に着いた。


posted by 野内 悟 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 房総風土記の丘への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

4月28日 風土記の丘への

4月28日 房総風土記の丘へのみちのり その2

神崎川沿いを歩き、R16を潜ったのが丁度8時。
河原子橋から、北へ進路を取り名内へ。

東光院の道標東光院の藤工業団地の中を歩き、道が狭くなり工業団地を抜けしばらく行くと、半鐘のある火の見櫓のある東光院へ着く。
ここで、8:40。
この石碑には、『文化5年 東光院』と読める。
境内には藤棚があり、紫の花と白い花の2本の木がある。
東光院の境内を横切り、田の中の道を北へ向かい、今井の桜の金山落へ。
もうソメイヨシノの花はとうに散り、八重桜がまだ少し残っていた。
金山落沿いを東へ向かって歩いていると、田圃で田植え機を使って田植えが進んでいた。
八重桜田植え白井市内では、早いほうだ。
田植え機に乗って、一人で黙々と進めていく。
40年前、農家へ田植えの手伝いに行った。当時はまだ田植え機など無く、人海戦術で集落総出で協力し合って一斉に田植えをしたもので、小学生でも手伝いに行くと歓迎してくれた。
田植えの作業を見ながら今井の桜の下を歩き、白井市平塚キャンプ場まで行ったが、キャンプ場はゲートが施錠されていた。そこで、9:25。

次に浦部の鳥見神社へ

−−−−−続く−−−−
posted by 野内 悟 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 房総風土記の丘への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

10連休終了。回想、房総風土記の丘

日曜日
夢のような10連休も今日でおしまい。
今日は一日雨のため、休養日となった。

4月28日に歩いた、房総風土記の丘までの道を振り返る。

ケヤキの新緑
4月28日早朝に雨が降ったため、天候が気にかかっていたが、見事に雨は上がっていた。
7時30分出発、ケヤキは若葉がみずみずしい緑で、すがすがしい気分。
このとき、インターネットからダウンロードした地図と予備の電池をウエストポーチに入れ、携帯ラジオとデジカメを持って出た。

七次川工事ほかほか七次川が神崎川と合流する所は、昨年来工事中であったが、この連休に間に合うように工事が終わっていた。あとは、調整池までの間約100mを残すのみ。
神崎川沿いは、夜のうちの雨水を含んだ土が、朝日に照らされて湯気を上げていた。
神崎川沿いを下り、白井ブランデー工場前を過ぎ河原子橋から名内方面へ向かった。

−−−続く−−−
posted by 野内 悟 at 21:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 房総風土記の丘への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする